物理生息場モデル:いきもののすみかの好悪を「計算」する

アイキャッチ, HEP Nature

アメリカを中心に、いきもののすみか(生息場)の価値を計算する方法が研究されてきました。いろいろな考え方があるのですが、実用的に最も簡明なHEP(Habitat Evaluation Procedure)とその系統を紹介します。

HEP(ヘップ)開発の背景

アメリカでは1969年の世界で最初の環境アセスメント法とされるNEPA(National Environmental Policy Act)の中で、「政府認可事業により起こりうる影響を評価しなければならない」と定められました。しかし標準化された定量的評価手法がなかったため、1970年代に研究開発されたのがHEPです。

HEPの基本概念

HEPは、特定の評価対象種の生息場の価値(HU; Habitat Unit)を、生息場の量・質で定量化します。

HU = 生息場の量 × 生息場の質

「生息場の量」は、通常は生息場の面積と考えます。「生息場の質」は、前記事「いきものが棲むのはどんな場所?」で紹介したマイクロ生息場3条件を対象種ごとに式にした生息場適性指数HSI; Habitat Suitability Index)で表します。HSIは0~1の値で、0は不適、1は最適です。ですから、HUは面積の単位を持ち、最適な生息場なら対象地の面積そのものとなります。

HEPではHUを50年とか100年で時間積分したTHU (Total Habitat Unit)を計算し、事業実施・未実施のTHUの差から事業に対する補償(代償)の規模を算定することまで考えますが、ここでは割愛します。

生息場適性指数 HSI

HSI = 対象地の生息場条件 / 最適生息場条件

「最適」がどういう状態かはなかなか難しいのですが、例えば個体数密度が最も高く維持できる条件とか、単位面積あたりの生物重量が最大となる条件などをイメージしてください。

例えば最適生息場条件下で単位面積あたり200個体のマガモが生息可能なら、HSI=0.1の生息場なら20個体が生息可能であると考えます。

下図は、SKラボが求めた川の中で7月から3月まで過ごすゲンジボタル幼虫の生息場適性基準(HSC; Habitat Suitability Criteria)です。

ゲンジボタル幼虫のHSC
ゲンジボタル幼虫のHSC

グラフの横軸が生息条件を表す指標、縦軸がその指標に対する適性指数SIで、SI=1が最適です。ゲンジボタルの場合、HSI = 流速SI × 水深SI × 河道指数SI で求めます。流速SI, 水深SI, 河道指数SIは対象地点の流速、水深、河道指数の値についてのHSCのグラフの縦軸の読みです。例えば、流速0.2m/s, 水深0.2m, 川底が石の場合、HSI=1となり最適な条件です。

HSCの定め方

まず対象種について、マイクロ生息場3条件を具体的に表す物理指標とHSIを計算する式を決めます。川魚については「川の魚が棲むのはどんな場所?」で流速・水深・河道指数を指標とすることが多いことを説明しましたね。またHSIの式も川魚では前述のゲンジボタルと同じ式とすることが多いです。

次に、HSCのグラフを描く方法ですが、以下の4つの方法があり、下に行くほど費用も時間もかかりますが信頼度は高まります。

  • 第一種適性基準:生息可能な指標値の範囲を専門家に聞く。
  • 第二種適性基準:現場で個体数と指標値を測定し、横軸に指標値、縦軸に個体数をとって結果をプロットし、包絡線を描いて最大値を1とする。
  • 第三種適性基準:現場で個体密度と指標値を測定し、横軸に指標値、縦軸に個体密度をとって結果をプロットし、包絡線を描いて最大値を1とする。
  • 第四種適性基準:時間変化・季節変化を考慮したり、複数の指標で関数化するなどより高度な解析により決める。
さかいさん
さかいさん

第二種の調査をするためには、ポイントポイントで個体数と指標値を調べればよいだけです。まあそれも大変ですけどね。でも第三種の調査をするためには、その面的な広がりまできちんと調べないといけないので、もっと大変なんです。

第三種適性基準は生物の好みを正しく表現するレベルに達しているという意味で選好曲線とも呼ばれます。第二種、第三種適性基準のグラフを描くためには、経験上70地点以上調査すると、あるアメリカの研究者は言っていました。調査でカバーした環境が偏っていれば、できたHSCも調査した地域でしか適用できないものになるのはもちろんです。

以前は第三種から第四種へと精度を求める流れがありましたが、物理や化学とは異なり適応能力のあるいきもののことですから精度にも限界があり、近年は第一種、あるいは第二種・第三種でも0か1かの単純なHSCを用い、かわりにGISを駆使してHSIの二次元分布を議論することが増えているように思います。

HSCのグラフやHSIの式を定めるには生物学、生態学の専門的な知識が必要で、簡単なことではありません。素人・個人としては、既に作成され、論文などに発表されたHSCを利用することになると思います。日本語情報としては以下のようなものがあります。

環境アセスメント学会生態系研究部会HSIモデルの公開

そのほか、Google Scholarで”Habitat Suitability”とか”生息場適性”とか”生息地適性”などのキーワードを検索すれば、いろいろな論文が見つかると思います。もともと実用的な要求から始まった分野なので、ここで説明したものとは異なる用語が使われていることもあるのは覚えておいてください。

実のところ、近年既存のHSIを入手することが以前より難しくなっていると思います。2010年台後半までは米国地質調査局(USGS)のホームページに100種以上の生物のHSIの研究結果が掲載されていたのですが、現在はそのページはなくなっているようです。代わりにUSGS Publications Warehouseというサイトができ、HSI文書も書誌はリストされているのですが、2022年3月現在原文へのリンクは張られていないのです。著作権の問題もありますので、公表しても良いと確認できたものはSKラボでも紹介していきたいと思います。

SKラボ
SKラボ

数年前、USGSのHSIページが1990年代から更新されていないことに気づき、USGSの友人に理由を尋ねました。すると、公表されたHSIを調べて環境アセスメントなどで自分に有利な結果が出るような種が調査対象となるよう議論を誘導するような事例が現れ、それ以降HSIを積極的に公開しなくなったそうです。悪い人がいると進歩が妨げられる例ですね。

HEPの系統

HEPはいろいろないきものに対応するため、HSCも種ごとに異なった指標、異なった式が定義されてきました。一方川魚は種が違っても評価指標は流速・水深・河道係数に固定されると考えても良いため、一次元の流れシミュレーションによる流速・水深の予測計算とHEPと同様の生息場評価を組み合わせたPHABSIM(PHisical HABitat SIMulation)ソフトウェアが開発され、HSCさえあればいろいろな川魚の生息場の好悪に人間活動が与える影響を計算できる基盤ができました。その後、2次元流況シミュレーションとPHABSIMと同様の生息場評価を組み合わせたアルバータ大学版River2D (iRICのRiver2DはこれからStatic流況計算だけを抜き出したもの)や、iRICの任意の2次元流況ソルバーの計算結果を読み込んでPHABSIMと同様の生息場評価を行うEvaTRiPソルバーが開発され、現在に至っています。ちなみに、PHABSIMでは生息場の価値をHUではなくWUA(Weighted Usable Area; 重み付き利用可能面積)と呼んでいますが、本質的に同じものです。

HSCさえ入手できれば、いきものの棲みかが計算で求められそうな気がしてきたでしょう? Have fun!

そうたくん<br>かなえさん
そうたくん
かなえさん

かなえ:今回はちょっと難しくなかった?

そうた:そうそう。とても自分でできる気がしないや。

SKラボ
SKラボ

背景を知ってほしくて、HSCの定め方とか、余計なことまで話しちゃったからね。でもHSCさえあれば、計算自体は中学生でも十分できるよ。今後計算例なども紹介していくので、慣れてくれば大丈夫。心配しないで!

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